やみつきジャパン!

若年性パーキンソン病と闘う札幌在住独身サラリーマンの備忘録ブログです。

若年性パーキンソン病になった30代会社員の仕事と症状、発病から5年後の現在について

f:id:sechsmerquise:20170625213145j:plain

 今から5年前、俺は絶望していた。もし、当時の俺がこの記事、このブログに出会っていれば、もっと早く救われていただろう。過去の自分は救えないが、同じ病気で苦しんでいる人は救えるかもしれない。俺と同じ若年性パーキンソン病と闘っている方や他の難病と闘っている方の少しでも役に立つかもしれないので、自分の体験談を書き残しておくことにする。

 

はじめに

 「実は俺、若年性パーキンソン病なんです。」こう答えて、病気の深刻さを理解してくれる人はほとんどいない。多くの方が「元気そうで全く病人に見えないですね。」と返してくれる。俺が元気そうに見えるぐらいまで精神が落ち着くのに4年以上かかった。しかし、5年目を迎えた現在でも、俺は病気の全てを受け入れきれていない。
 俺が若年性パーキンソン病を発病してから5年、つまり闘病生活を5年過ごした。医者から病名を伝えられた年の年末、俺は今の自分のようになっているとはまったく想像していなかった。5年前の俺は、今頃自殺していると思っていた。
 簡単には説明すると、若年性パーキンソン病は、高齢者に多い病気であるパーキンソン病を若くして発症したものだ。症状こそ同じだが、定年間近で発症したパーキンソン病の人と俺のような30代という働き盛りで発症した若年性パーキンソン病の人では、置かれた状況が全く違う。こればかりは当事者にしか分からない。家族や介護をしてくれる人にも本当の意味で理解はできないだろう。これは若年性パーキンソン病の俺だけでなく、あらゆる病気や心身の障害と闘っている全ての人が感じていることではないか?少なくとも俺が闘病生活をしてきた5年の間で色んな人に出会ったが、心の底から分かりあえたと思えた女性ですら、俺が病人であるがゆえの言動・行動を理解してくれなかった。彼女が本当の意味で俺の病気を理解してくれれば、俺の元から去ることはなかったかもしれない。彼女は最後まで俺が健康な人だと錯覚していた。若年性パーキンソン病の本当の怖さは、一見すると病人だと分からないところだ。 

 

進行性の病気特有の体感時間

 パーキンソン病は目に見て分かりづらく、決して止まらず進行する。人生の終わりが見えるこの病気は、常に焦りをもたらす。ガンなどの進行性の病気というものは自分に残された時間を常に考えさせる病気だ。健康な人の1日と進行性の病人の1日は同じ1日ではない。健康な30歳が寿命まで50年あったとして、末期ガンなどの進行性の病気で残り3年だと考えると、健康な人の1日は、末期ガン人にとって16日間と同じなのだ。1日の重さが約2週間分なのだ。俺のパーキンソン病は60歳になる頃に寝たきりになると考えると、体が動かなくなるまで残り約30年。分かりやすく言えば健康な人の2倍時間が過ぎる。実際には30年後に体が停止するわけではなく、どこか途中の段階で思い通りに動かなくなるので、人としての尊厳を維持しながら生活できるまでの時間を考えれば、残された時間は後10年もないかもしれない。そう考えると俺の1日は健康な人の5日分ということになる。しかし、俺みたいに独身で働きながらの闘病生活となると、後5年もしないうちに病気が間接的な理由の事故で死んでしまう可能性もある。食べ物を飲み込みにくくなるため、喉をつまらせることもあるし、急に足が動かなくなりバランスを崩すこともあるため階段から落ちて死ぬこともある。体が少しずつ思い通りにならなくなるということは、あらゆる選択肢が次々減っていくことと同じであり、自分に残されたあらゆる可能性が少しずつなくなっていることと同じなのだ。俺は行動力があるといわれるが、行動力があるのではなく、時間がなくて人生を楽しむことに焦っているだけだ。

パーキンソン病の症状

 パーキンソン病、若年性パーキンソン病ともに進行速度や症状は個人差が大きい。病人の俺ですら自分の状況を把握しきれていない。そのぐらい難しくコントロールができない病気だ。主な症状を大雑把に言えば、手足のふるえ、手足のこわばり(こわばりによる痛み)、動作がにぶくなる、転びやすくなる、の以上4つ。他にも便秘、排尿障害、立ちくらみ、汗をかきやすくなるといった自律神経症状や気持ちが落ち込むなどのうつ症状も見られることがある。心臓が苦しくて心筋シンチという検査を受けたこともあるが、俺の心臓は30代のそれとは思えないほど弱っていた。パーキンソン病になると、病気のオンパレードというぐらい色んな症状を背負うことになるのだ。
 俺の場合、手足の震えだけがない。逆に言えば他の症状は全てある。これが意味することを分かってもらえるだろうか?うつ病で苦しいとかそんなレベルではないのだ。やる気が起きなくて寝ていても、体がこわばって全身が筋肉痛の痛みがある。もう生きているだけで痛いのだ。日に日に思い通りに動かなくなっていく自分の体、そして痛み。これで明日に希望が持てるだろうか?それでも俺は毎日痛み止めを飲んでブログを書いている。毎日、職場で笑って人一番仕事をこなしている。今では病気になる前より生き生きしているとまわりから言われるようになった。俺が病気を通して学び成長し、今の俺に至るまでについて、順を追って書くことで、若年性パーキンソン病について少しでも理解してほしい。

体の違和感

 俺が最初に違和感を覚えたのは、平成24年の夏の初めだった。連日の残業で疲れながらも会社に早朝出勤した。会社の駐車場に自家用車を停めて鍵をかける。車の鍵をスーツの胸ポケットに入れようと腕を上げると、車の鍵が地面に転がっていた。そして、俺の右手には車の鍵がなかった。さっきまでは確かに握っていたはずの車の鍵を俺は無意識に手放していた。その時は疲れているからと気にもとめず鍵を拾い上げた。会社に入り自分のロッカーの前に立ちロッカーの鍵をズボンのポケットから取り出そうと手を入れて鍵を握る。握った鍵をロッカーの鍵穴の前へ持っていったはずが、またしても手の中にロッカーの鍵がない。目線を下げると床に俺のロッカーの鍵が転がっていた。握った物をいつの間にか落とすことが毎日のように続いた。
 夏が終わる頃には、社内を歩いていると何もないところでつまずくことが増え、右腕が重く感じるようになっていた。俺は何か重い病気になったとすぐに気が付いた。そして、連日のようにネットで調べるようになる。最初に疑ったのが胸郭出口症候群だった。そして次に疑ったのが筋萎縮性側索硬化症(ALS)だ。ALSなら寿命は長くて5年。辛く苦しくても5年で終わる。仕事も辞めてゆっくりしようと覚悟を決めた。そして、大きな病院で検査を受けることにした。

病名がつくことの安心感と絶望

 検査結果は病名不明。「今の段階ではハッキリ言えませんが、もし、このまま症状が続き、検査結果で何も出なければ、いくつか該当する病気はあります。しかし、どれも重い病気です。もう少し様子を見ましょう。」と検査の度に言われ続けることになる。
 12月に入る頃、俺は全身に痛みを感じるようになっており、整形外科に通うようになっていた。痛み止めを毎日3回飲むようになった。今は塗り薬に切り替えたが、当時は、両腕・両脚にロキソニンの湿布を貼って、その上から包帯を巻いて仕事をしていた。今思えば、はたから見て相当痛々しい状態だったはずだ。どこをどう見ても大けがをした人にしか見えない見た目だった。そんな光景を見るに見かねて上司からセカンドオピニオンをすすめられる。たまたま整形外科で見かけたALSの講演会のチラシで知った専門医がいる病院でセカンドオピニオンを受けることにした。俺は医者からALSの診断を受けることを覚悟していた。しかし、医者から告げられた病名は『若年性パーキンソン病』だった。30代での発症は珍しく、完治する治療法もないが悲観しないようにとその場で医者から説明される。その時、俺は若年性パーキンソン病の恐ろしさを知らなかった。ALSでなかったことに安堵し、何よりも病名が付いたことに喜んでいた。医者が涙目で病気について説明していたが、俺はその意味を知らず、かなり温度差があったことを今でも忘れない。今にして思えば、この時の温度差こそ、俺と若年性パーキンソン病を知らない人の温度差なのだろう。
 家に帰り若年性パーキンソン病についてネットで調べて愕然とし、すぐに俺と医者との温度差も消えた。この病気は寝たきりになる病気であり、現在完璧な治療法は確立されていない。そこには希望と呼べるものが一かけらもなかった。あるのは先人たちの苦悩と絶望の声だけだった。

病気の重さ

 難病は体だけの問題ではない。生活習慣や人付き合いも一変し心までも疲弊する。ガンや脳梗塞などのように広く知れ渡った病気ならまわりからの理解も得られやすい。しかし、発症者の少ない珍しい難病は、その症状がガンより重い病気であったとしても、『有名ではない=軽い病気』だと誤認される。世間では重い病気は有名な病気だと思う人が多いのだ。俺の若年性パーキンソン病はALSと同じ日本で67疾患(平成27年現在)しか認められていない特定疾患治療研究事業対象疾患特定疾患である。寿命5年の病気と同じ枠に入る病気なので、間違いなく重い病気である。しかし、進行性のため進行があまり進んでいない現時点では、それほど重い病気ではない。実際、重度のうつ病での働けない人と違い、俺は毎日楽しく元気に働けているし、こうやって面白おかしくブログを書けている。いやいや、これはハードルを上げてしまったか?面白いブログを書いていると書くと、「お前のブログはつまんねー!」と叱られるかもしれないが、その辺は大目に見てもらいたい。前置きが長くなってしまったが病気やケガによる個人への負担は人それぞれだ。会社の同僚は俺の病気を知っており色々心配してくれるが、俺は今でもまわりの健康な人に負けていないと思っている。多少の風邪では休まないし、足の骨を折っても捻挫したと嘘をついて出社した。病は気からというあれは、難病であっても同じである。同じ病気でも感じる負担は人それぞれなのだ。

 

現在の心境

 病気の進行はそれほど進んでいないが、無理し過ぎたためか、俺の心身はかなり疲弊してきている。最近は仕事を終えて家に帰り一人になると急に孤独を感じて辛くなる。孤独感をごまかすためにテンションの上がる音楽をガンガン聞いて無理やりテンション上げるようになった。テンションが異常に高い状態でブログを書き、メールを打つので、いつも空回り気味になる。それが原因でメール友に嫌われたこともあった。それでも、そうしないと自分の心を維持できないほど追い込まれている。何かに集中している時は、病気や自分の将来について忘れられるが、疲れてソファーに腰を掛けると、急に不安になって死にたくなる。病人の孤独は、同じ病気を持つ人にしか理解できない。だからといって、同じ病気の人と交流すると、そこには未来の自分の姿があり、いやでも絶望を突きつけられる。傷のなめ合いを強いられ、精神がどんどん病んでいく。
 以前は、色んな女性と仲良くなり、毎日のように励ましてもらうことで精神的には乗り切っていたが、最近はそういう関係もパッタリなくなってしまったので、日曜は一日中安静にしていなければ出社できないほど心身共に弱っている。歯を食いしなければ痛みでまともに動かせない体を根性で動かしているのだから当然といえば当然なのだが、頭の中が恋愛モードの時は、パーキンソン病の原因であるドパミン(ドーパミン)不足を自然におぎなえていたため、症状も軽くとても快適に生活できていた。以前のように恋愛できれば解決するのだが、一度本気で結婚を考えた後だと、すぐに新しい恋愛にシフトすることは無理なようである。おかげで最近は分かりやすいほど病気の進行速度が速くなっている。収まっていた全身の痛みがまた戻ったのだ。いわゆる死んだ方が楽な状態だ。それでも5年前と比べれば大分マシな方だ。5年前は毎日、自殺することしか考えていなかったのと比べると、今は自殺を考えるのもせいぜい月一ぐらいでかわいいものだ。365回が12回に減ったと考えると、かなりよくなった。

若年性特有の苦しみによる自暴自棄

 俺が毎日自殺を考えていた頃、仕事もやる気がおきなかった。昼休みと会社帰りにゲーセンで遊んで貯金をどんどん減らしていった。パチンコではないが、いわゆるギャンブル依存になっていた。しかし、生まれつき器用であったため、2カ月でコツをつかんでしまい、3,000円で取れる設定になっている景品を500円で取ってしまうようになる。運がよければ100円で取れることも増えて、結局飽きてしまった。ギャンブル依存は1年で治った。
 次に俺が手を出したのはアルコールだった。それまでアルコールを飲まなかったのだが、やけになってアルコールに手を出してみたのだ。しかし、生まれつきアルコールに強い体質だったため酔うことができず、アルコール依存にはなれなかった。残ったのはカクテルを作れるというスキルだった。
 何をやっても人並み以上にできるという自分の才能が裏目に出た。自暴自棄になっての行動がただのスキルアップにしかならなかった。それでも俺にはまだ残されていたものがあった。女だ。人をダメにする『飲む、打つ、買う』の『買う』が残されていたのだ!しかし、パーキンソン病になるような男だ。もちろん、女性を買うということはできず、俺は自暴自棄になりきれなかった。

人生の転機

 そんな中、病人の俺を好きだと言ってくれる女性が出てきた。俺は半年悩んで彼女の申し出を受け入れることにした。しかし、彼女は俺の給料が思っていたより安かったことと、俺が社長である父親の遺産を相続しないと話したら急に態度を変えてしまった。絶望の中で唯一の希望だった光が消えてしまった。俺は彼女を恨んだ。俺を裏切ったことを後悔させようと思い、その日から復讐心にかられた。そして、俺が選んだ道は自分磨きだった。彼女が後悔するほどのイイオトコになれば、よりを戻したいと言うだろうと、そして今度は俺が彼女を振ってやろうと思ったのだ。しかし、一度好きになった女性を嫌いになれるわけがなく、俺の恋心は残ったままだった。
 俺はネットで『モテる男』について調べた。見た目を清潔にする。女性の話は聞く。常にレディーファーストで考え動く。練習の場として、ネットやゲームのコミュニティーを利用しているうちにいつの間にか、その相手を好きになっていた。相手を知れば知るほど好きになっていた。その時点で俺を振った相手のことはどうでもよくなっていた。
 そして、女性は外見ではなく、明るさ、優しさ、気遣いができるかどうかが魅力であることに気付くようになった。そして、何よりも女性の笑顔に癒されることを知った。男女差は体のつくりの違いだけだと思っていた俺の考え方が大きく変わった。男女では考え方や内面に大きく違いがあることに気付いたのだ。どんなに自分のことを中身はおっさんだと言う女性でも、その心の奥底は男性と違い女性であった。理屈屋の男性と違い、感情的な女性の喜怒哀楽は、絶望に漬かっていた俺の気持ちを晴れやかにしてくれた。笑う女性はもちろんかわいいが、怒る女性もかわいい。女性のかわいさは内面からにじみ出るものだと思う。
 俺は世界中の女性を愛するようになっていた。そして、次々に女性と仲良くなり、遠方まで出かけてまで女性とデートするようになっていた。いわゆる恋愛依存症になっていた。 

生きることの楽しさを知った

 俺の若年性パーキンソン病の進行が他の方と違い極端に遅いのは、恋愛依存症の副作用である。おかげで5年経った今でもドパミン(ドーパミン)を補う薬の投薬を開始していない。数か月ごとに違う女性とお互いに好きだと言いあっていれば、常に頭の中のドパミン(ドーパミン)の分泌ができるようになるため、病気の症状はかなり抑えられることが体感的に分かった。しかし、次々と別の女性と付き合うことは難しい。学生と違い俺のようなサラリーマンには、女性をナンパする時間もない。黙っても女性がついてくるようなルックスもないし、金もない。俺にあるのは、異常なまでに高いコミュニケーション能力と何でも人並み以上にこなせる器用さだけだ。しかし、俺はこの才能でモテているわけではない。俺は昔も今もモテない。たまたま優しい女性に恵まれているだけなのだ。
 俺の職場には女性が多い。そして、彼女たちはみな優しい。そして、かわいい! あの笑顔を見るためなら俺は限界を超えられる! 若年性パーキンソン病の俺が5年経った今でも笑顔で働けるのは職場の女性たちのおかげだ。そして、俺が私生活で苦しんでいる時、それらの問題を乗り越えられたのは、その当時付き合っていた女性たちのおかげである。
 俺が病気に負けず生きることが楽しいのは、色んな女性たちのおかげである。だから、俺は女性が大好きだ! 

tyoiwaru.hatenablog.com

tyoiwaru.hatenablog.com